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2019年9月30日月曜日

味覇。

大したことのない。
これっぽっちも大したことのない。
でもなんだか、どこかに
懐かしさを感じるような。

キッチンに立ち、缶ビールを開けて
カッコつけのためだけに
吸い続けているタバコを吸う。

キッチンの薄明かりが
この家の中で1番の好みで
1日の中のどんな光よりも
見ていて落ち着く色合いをしている。

好みの関東芸人のラジオを聴く。
職業柄、自分の情報収集のタネは
ラジオが大半を占めている。
どこかに出向くこともなければ、
出張先で面白い出会いがあるようなこともない。

話はつまらないよりも、面白い方がいい。
通勤中や、放課後の教室、
夕食を作る最中は、必ずラジオか
自分のプレイリストを流している。

好きではない洗い物も、
元来苦手としている料理の細々とした工程も、
音楽や会話を聴いていると自然と手が進む。

昨日妻が作った、栗ご飯の残りと
1週間前にオオゼキで買って冷凍しておいた
手羽先をニンニクと炒め甘辛く味付けをし
サッポロ塩ラーメンの上に、胡麻油と
たっぷりの胡椒で整えた白髪ネギを乗せる。

1人の晩餐は、嫌いではない。
洗い物を終えて、ふと調味料の棚を見ていると、
小さな頃、よく週末に父親が色んな料理を
作ってくれたことを思い出した。


気付けば、僕の家の調味料の棚も
同じようなラインナップになっている
ような気がしている。
もちろん記憶は朧げで、
父がどんな調味料を使っていたなんて
直接見たこともなければ、
教えてもらったこともない。

ただなんとなしに、父という存在を思い出す。
大したことのない。
これっぽっちも大したことのない。
でもなんだか、どこかに
懐かしさを感じるような。
そんな月曜日の夜を過ごしている。

つすめん。

2019年9月16日月曜日

レモンサワーを。

三連休の最終日、自宅でラジオを聴きながら
レモンサワーを二杯。
同じグラスにハイボールを作り、
PCを開き、Blogを書いている。

連休の最終日の夜というものは、
いつだって、憂鬱に押し潰されそうだ。
特別な時間が終わろうするその瞬間は、
いつだって、憂鬱だ。
憂鬱の中に、僅かな希望を持って、
力強く、またその日常と向き合う準備をする。

仕事を楽しむ努力は怠らないほうがいい。
子どもたちはいつだって、際限なく無邪気で
果てしなく可愛く、希望に満ち溢れている。
子どもたちの未来が、これからの日本を創る。
そんな子どもたちを前にして、
何を語り、何を教えられるだろうか。
何も語れないし、何も教えられることはない。

1つだけ、出来ることがあるとすれば、
心から好きだ。
いえるようなことを見つけて欲しい。
と伝えることぐらいだ。
そのために、僕が好きだな、
いいなぁと思う本を揃え
学級文庫に忍ばせてみたり、
給食の時間の放送が終わった刹那、Bluetoothで
色んな音楽を流し、みんな口ずさむぐらいだ。
君が面白いと思った文章や絵を、君と同じように
面白いと感じる友達を見つけ、繋がって欲しい。
君が楽しいと感じた音楽で、君と同じように
楽しいと感じた友達を見つけ
一緒に体を動かしてみて欲しい。


自分がどんなものが好きなのか、
どんなものをいいと感じるかを理解することで、
自分というものが形成されると思う。
もちろん、それだけではない。
いつだって、こうありたい、こうなりたい
という本質的な、答えは、自分の中にある。
自分をよくするも、わるくするも
けっきょくは自分の努力次第で
どうにでも転がっていく。

僕にとって、
仕事は、自分のやりたいことではない。
だからこそ、僕は仕事以外の時間で、
自分のやりたいことや
自己実現をしていきたいと考えている。
その方法の1つがBlogであり、
文章に残すということだ。
自分の人生は豊かだし、面白い。
そもそも人生は、面白い。
生きていれさえすれば、
明日もきっと笑える瞬間がやってくる。
恵まれているからこそ、
何かをつくってみたいという、
気持ちが強くある。

つすめん