その類いの言葉は色々と表現の仕方がありますが、
僕はその中でも「手淫」という表現を最も好いております。
手淫、しゅいん、シュイン。
この言葉を、僕は「一日で最も己の手が淫らだった時間帯」
と解釈しております。自然の摂理の中で、
マスターベーションという営みは逆らうことのできないソレであります。
こと自慰行為ひとつに関しても、
一日の中で、最も自分の手が淫らになった時間帯。
と考えることが出来れば、
「あぁ、しょうがない俺の右手もちゃんとスケベになる時があるんや、、」
と、なんだか前向きに生きていくことができるモノなのです。
もし「昨日のオナニー、マジ気持ちよかったんだよね〜」
と友人と振り返る場面があったとして、
「そういえば、昨日の手淫がすごく良かったんだ、、」
と神妙な表情で語り出せば、なんだか、
それは乙な話の切り出し方に聞こえるとか聞こえないとか。
こんなことを↑毎日考えております。
みうらじゅんは彼のコラムの冒頭で、
「人生の三分の二はイヤらしいことを考えて来た」
という入りから、毎回お話をはじめます。
ご想像の通りほとんどが、下ネタ関連のお話でありますが、
みうらじゅんは、そういった事柄に対して、
真っ正面から、真摯な姿勢で向き合って物事を考えている人なので、
そういう意味では、尊敬に値する人物であります。
しかもみうらじゅんの場合、ダッチワイフとかに「かおり」
とかの適当な名前をつけて、彼女に見立てて、一人遊びをしているようで、
また自分とは違った角度から攻めている大人の男として、
ちょっと憧れの眼差しを持っていたり、いなかったり。
福山雅治、みうらじゅん、ケンドーコバヤシ、刈部喬太。
いつの日か、この三人に肩を並べることが、
僕の密かな目標であったりもします。
ご無沙汰しております。
最近どんどん、肌が黒くなって、髪の毛が伸び、
渋谷のチーマー、ナンパモノのAVに出てくるチャラチャラした男優、
スーフリの幹部とかにいそうな感じの風貌になりつつある、
自分にゲェしております、Kyotaです。
スーフリがワイドショーを賑わせた時期って、
多分僕が高校1年生の時期くらいで。
この和田↑だかっていう代表の男が、「女は打つための道具だ」ということを口癖のように言っていた、
というニュースを母さんと観ていて、
SEXに対して、一定の憧れを持ち、崇高な行為として認識していた、
15歳の僕にとって、すごくショックなニュースだったのを覚えています。
母さんとたまたま夕食を共にしている時間帯だったこともあって、
とても残念な気持ちで、変な空気の中ご飯を食べたのが鮮明に蘇るものです。
それからちょっとして、
数日ほどおいて、何かの拍子で母さんから、
「女の子の体はとても傷つきやすくて、
デリケートに出来ているから、本当に本当に気をつけてね」
と言われたのがとても印象的で、性に対してとても敏感で、
SEXという事柄がより身近な行為となろうとしていた自分にとって、
絶好のタイミングで、受けた教えであったと思います。
それは母さんから受けた、最初で最後の「性教育」だったと思いますが、
その時のことをすごく覚えているし、それこそ母さんの神妙な語りに、
あぁ、女の子の身体って、本当に丁寧に扱わないといけないんだな、
と肝に命じた出来事でもありました。
そういった、女性の身体を無下に扱う男にはなってはいけないと思ったし、
いまでもそういった思いを持って、丁寧に接する心を欠かさない次第であります。
酔っぱらった勢いであれば、何をしてもいいというのは絶対違うと思うし、
やっぱり男たるもの、そうなるのであれば責任と覚悟が必然とついてくるものです。
そういった女の子を道具としてしか見ていない男は地獄に落ちれと物申したいし、
「あの女を抱いてやったぜ」とかいうスタンスの男には、
抱いてやったのではなく、「抱かせて頂いたのだろう」勘違いするな、ボケ。
と伝えたい訳であります。
過去の過ちというか、火遊びの1つや2つを思い返せば、
ちょっと書きながらも、何言っちゃってんの自分と、
引け目になってしまう自分がいるのも本当ではあります。
いやいや、お前のSEX別に丁寧でもなんでも、なかったぞ、
このフニャチン野郎。とこれを読みながら思う、方もいるかもしれません、
その節は丁寧で、ソレを楽しむ心が欠けていたのかもしれません、
大変申し訳ございません。
とかく、僕は女の子に優しい、寛容で余裕のある男でいたいと思うのであります。
将来的な展望としては、僕はグラディエーターやロビンフッド、
アメリカン•ギャングスター、レ•ミゼラブルの、
ラッセル•クロウみたいな、男に憧れを持っている手前。
今の自分のようなチャラチャラした風貌は決して本意ではありませんし、
え〜チャラそ〜、という印象を持たれることは好まれたものではございません。
男は黙って、寡黙に、鍛え抜かれた広背筋を活かして、
薪を割っている後ろ姿が一番カッコイイと思っている節があります故に、
今の自分はそういった姿からは程遠いなと感じ、ショボンとなるのも隠すことの出来ない事実であります。
えーと、今回は特にネタ的なお話をどうこう、つすしたわけではありませんが。
僕の真意を書かせてもらったことには違いないので、いいんです。
結局の所、極端な話、僕がギャル男であってもいいんです。
確かに僕は心の中に「ギャルの一面」を持っていると思うし、
ギャルが大好きなのも、本当ですので。
だけど、ひとつ言いたいのは、20代を折り返そうとしている男が、
いつまでもギャルの尻を追っかけていてもしゃーないぞ、
ということに尽きるのです。
そう、人生をかけた、婚活を自分のペースで始めなければいけないのです。
僕の心を鷲掴みにするような、したたかで、計算高い、
優しいウソで、僕を手玉に取る様な女性に出逢ってみたいものです。
Bitch、最高。
てな、具合で。
#つすめん
次回は「池袋ウェストゲートパーク」について、
書こうかと企てております。
わーわー言うております。
でわでわ。


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