小学生ぶりに誕生日当日を誰かに祝ってもらった。
大好きなでずにしーで、ビールを飲みながらたくさん乗りモノに乗った。
ファンタズミックという、でずにの中でいっちゃん好きなショーも観た。
なにをしていても楽しいし、
そばにいてくれる人が隣でケラケラと笑ってくれることはとても嬉しい。
僕は本当に利己的な人間だから、僕にとって、いや人間みなそうなのかもだけど、
誰かとすごして相手のことを想って、なにかを行動にするということはとても尊い。
最近、僕の家族や僕の友達は本当のりあるだとつくづく思う。
ちゃんとおかしいということは伝え合うし、ちゃんと自分の意見を持っている。
僕が彼女との写真を友達に送れば「お前の顔マジでうざい、なんなの」
と返ってくる、ウソじゃない、ちゃんとキモいと言ってくれる。
僕が彼女を父さんに紹介すれば「え、彼氏がギャル男ってどうなの、大丈夫なの?」
と親父が聞く、それでいい、お前ギャル男を認めるのかと、諭される。
3年間ほど大好きなあの子っていう存在はいなかった。
大学を卒業して、遊びほうけたと思う、女の子の尻をおっかけた。
いつか出逢った年上の男性が、
「1人でいることを楽しめないヤツが、誰かとの付き合いを楽しめるわけがない」
と言った、僕はそだな、と思ったし、元来一人っ子は一人遊びの達人だ。
だからとびきり楽しんでいたら、結果、クズみたいな生活をしていた。
そんなどうしようもない僕が大嫌いだった、楽しいことを楽しむ力はついたけど、
誰かと関係を築いたり、誰かを守ったり、誰かを想ったりすることは、
皆無に等しかった、言わずもがな、とても寂しかった。
振り返って、そんな中でもなんとかやっていけたのは、
そばにそんな家族がいて、ちゃんと友達がいたからだと思う。
家族から愛されて、友達との付き合いがあることは当たり前のことではないけれど、
僕は唯一そういった関係には恵まれていた。と同時にそこに甘んじていた、と思う。
本当に自分を変えるには一度東京を離れるしかないと思って島根に行った。
大人にならない自分をどこかで裏山がってた人もいたかもしれないけど、
心の中で大人になれない自分を嘆いて発狂してた、
もちろん僕はそうゆう自分を家族にしかみせなかったけど。
島根にいき自然に囲まれたなか、身体を動かす仕事をして、美味しいご飯を食べて、
時々美味しいお酒を飲んだり、すてきな温泉に入ったり、サッカーをしたり。
すごくすごく充実していた。心が満たされるってこういうことなんだって思った。
東京でいくら楽しいことをやっても得られなかった感覚がそこにはあった。
充実感ていう三文字は文字にすればなんだか陳腐になるけど、
日々の中で満たされているという感覚を取り戻せたことは、
僕にとってすごく大きな意味があった。
空や山や木や海や夕陽や朝日を、目と耳でちゃんと感じて、
スローにマイペースに、一日や物事が進んでいった。
しがらみっていう、僕の最も嫌いな感覚がそこにはなく。
自分に素直だった、自分がどう生きたいのか、自分が何を残したいのか。
とてもシンプルだった。
だからこのBlogをはじめて、自分の書きたいことを書いた。
時に誰かを不快にさせてしまうこともあるかもしれない、だけども、
意見や考えや想いを表現するということはそうゆう反応があって当然で。
まずは僕の書くことを見てもらい、何かを感じてもらうことが大事だと思った。
でもでもきっとこれからはそれだけじゃ、
あぁ、あいつまぁたくだらねぇ長文書いてんな、ふぁっくだっしっと(fu*kthatshit)
てなってしまうだけだろうから。
もっとこうkyotaのBlogを読むとなんかいいよね、
ていう何かをきちんきちんと作りたい。
面白い、気持ち悪い、うざい、笑える、なんでもいいけど、
そやって思ってもらえることはとても嬉しいことだから。
まぁ所詮Blogだからさ、って逃げの姿勢を見せるのは簡単だけど、
ちゃんとファイティングポーズを取ってキーボード叩くんだ。
わからない、ここが何に繋がるかなんて未知だけど、
僕はやっぱり文章を書くことが好きなんです。
今は心がとてもシンプルです。
大好きです、ありがとう。
「26歳、ギャル男からの脱却〜りあるひぷほぷに一直線〜」
がテーマです。
よろしくつす願います。
#つすめん
By KK
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